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2014年11月29日 (土)

維新府議の安易なグローバル礼賛

公明党の辻市議と維新の中野府議のやりとりですが、これは辻市議の意見が正しいです。

一時、グローバル化というものに凄く期待が集まった時期がありました。あらゆる資本が国境を越えて行き来して、国境というものが無意味になりつつありました。しかし、それによって世界的な金融危機を招き、グローバル化というものには世界的な懐疑の声が大きくなりつつあります。

そもそもグローバル化で誰が得するのかというと、国境をこえてビジネスを展開できるグローバル資本です。その巨大な資本の前には、例えば日本国民、アメリカ国民、といった区別はなく国境を超える力のないものは搾取の対象となります。

90年代まで、日本の輸出が増えると日本国民の所得が増えていました。しかし00年代に入ると様相が変わります。日本の輸出がふえても所得が増えなくなりました。理由はグローバル化が進んだからです。日本の企業は、グローバルな競争に勝つため、日本人労働者の賃金を抑制しました。グローバル社会においては、企業にとって自国の労働者の賃金を引き下げることは合理的な行動なのです。

日本人労働者の賃金が下がって、日本人の購買力が落ちてしまったらどうなるでしょう?グローバル化した社会では日本企業とてそんなことは構いありません。グローバルなマーケットで売りあげればよいのであって、お客様は日本人に限らないのですから。むしろ日本人労働者の賃金など、企業にとってコストでしかありません。

こうした風潮のなのでグローバル化は多くの日本人にとっては痛みしかもたらさないのだと思います。私は鎖国を訴えたいのではないのですが、これ以上のグローバル化は弊害ばかりをもたらすということを、声を大にして指摘したいと思います。

第一次世界大戦の前も人類はグローバル社会の時代を迎えていました。しかし、その時も行き過ぎたグローバル化が社会の不安定を招き、第二次世界大戦後には脱グローバル社会が意図的に構築されることになったのです。

80年代からグローバル化の気運が再び高まりました。そもことをもってグローバル化が必然の流れであるという錯覚に陥っている人もいますが、決してそのようなことはありません。再びさらなるグローバル化を進めるか、見直してグローバル化を抑制するかは人類の選択次第だといえましょう。

冒頭のやり取りに戻りますと、中野府議はグローバル化は不可避のながれだと考えている人間なのでしょう。グローバル化に反対することは、内向き志向で、井の中の蛙に留まってしまうことだと考えています。

しかし、そんなことは単に彼女のコンプレックスの裏返しにすぎません。むしろ私は、政治に携わる人間なら行き過ぎたグローバル競争の荒波から国民生活を保護する視点があって然るべきと考えます。

グローバル化と聞くと、人類の新しい局面を迎えるものであり、このまま進んでいくものであると安易に思い込んでいる人がいます。中野府議もそういった人種の一人でありましょう。しかし、人類は第一次世界大戦前にもグローバル化の局面を迎えたことがあり、見直しをしながら歴史の歩みを進めてきたのです。グローバル化は当然という認識は、そういった歴史の経緯を知らない無知と、世界的なグローバル化への危惧の声をしらない内向き志向からくるものでしょう。

「日本人は内向きだ。これからはグローバル化だ。」という安易な発想こそ、私はその人の狭い了見の中から生み出されているように感じるのですが。

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