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2017年2月 2日 (木)

「日本死ね」で踊っている人に見えていないもの

松居和氏のフェイスブックよりシェアします。



「 こんなツイートが保育士さんからありました。
 「保育士の転職サイトで『保育士の仕事は親の代わりに子育てをすること!親に向いてない人はいないから、保育士に向いてない人もいない!』という文章をみつけて衝撃を受けている。
 私は親代りのつもりは全くないし、保育士に向いている人はわからないけど、向いていない人はいると思っている。」
 最近の保育士不足から起こっている現場の状況や、「保育園落ちた、日本死ね」という流行語に代表される、保育に対する意識の変化を考えれば、こういう、転職サイトの無責任な宣伝文句自体が衝撃です。よくわかります。保育をサービス産業、成長産業と位置付けた政府の経済優先施策、その狭間で儲けようとする転職サイトや派遣業者が「親の代わりに子育てをする」保育界の質を一気に下げ、壊してゆくことへの憤りさえ感じます。
 もともと実習を体験した保育科の学生の半数以上が、自分には無理、と判断して保育士にはならなかった。資格を持っているから保育士になれるのではない、と理解した。そうした学生たちの、始める前に「自分を埋める」という賢明な判断が保育界の質を支えていた。大自然の法則にも似た彼女たちの行動を、政府が無責任に、現場に出ていない資格者が80万人いるのだから、「掘り起こせ」と言い、保育界で儲けたい人たちが、「三年経ったら園長にしてあげる」「派遣会社は毎年違う園が体験できますよ」などと学生に呼びかける。馬鹿な首長が、「子育てしやすい街にします」「待機児童をなくします」と言って親子を引き離す施策を選挙公約に掲げ、板挟みになって苦しむ課長の意見に耳を傾けずに、いつの間にか「子育て放棄しやすい街」をつくる。そして、財源のある東京都の区長は、5万円の商品券、月八万円の居住費を餌に、地方から保育士を青田買いしようとする。
 実は、誰にも親の代わりはできない。ベテラン保育士たちは知っている。自分たちがいくら頑張っても5歳まで。しかも、毎年担当は代わる。自分たちが頑張ることによって、親たちが親らしさを失うのであれば、本末転倒。子どもの幸せを優先したことにはならない。
 最近の保育士さんの離職原因の第一が同僚との問題です。とくに3歳未満児保育は、以上児と違って複数担任の場合が多く、「向いていない人」「そこにいてはいけない人」が同じ部屋にいるだけで、感性のある人ほど辞めていく。そういうケース(ケースと言うことがすでにおかしいのですが)、奇妙な出会いが、日々幼児の視線(神様の目線)にさらされているのです。だれでもできる仕事ではない。保育士という職業につける人間はそうそういない。たぶん20人に一人くらいしかいない。
 (この宣伝文句を眺めていてふと思いました。保育士が基本的に出産を経験していて、30年くらい続ける職業で、親身に育ててくれる先輩数人に囲まれ、担当する子どもが年齢を問わず三人ずつくらいまでで、必ずそこに親たちからの感謝と信頼の目線があり、訴訟がない社会なら、「保育士に向いてない人もいない」と宣伝して、それから数年かけて育ててもいいかもしれない。でも、まったく、そういう仕組みではありません。)
 「親に向いていない人はいない」ではなく、子育てに向いていない社会はない、ということなら言える。一人ではできないのが子育て。集団の意識や、異なる資質や体験の重なりと相互の育ちあいがなければ不可能なもの。もっと進めて、一人一人の人間の違いを生かし、相談しあい、育ちあい、絆を深めるために「子育て」があるのだと理解するといいのです。」

◆昨年の流行語になぜか流行ってもいない「保育園落ちた日本死ね」が選ばれました。「保育園落ちた日本死ねという言葉がそこにある問題に目を向けさせた」などと意味のわからないことを言う人がいますが、そんな言葉が出る前から待機児童問題は社会的に認知されていました。

「日本死ね」を肯定する人達はあの発言で自治体が待機児童解消に取り組むようになったとかわけのわからないことを言っていますが、事実に反するのではないでしょうか。そして何よりそれでいい方向に向かっているとは私には思えません。

何より、保育の質や保育現場の疲弊といった問題が「日本死ね」を肯定する人達に少しも顧みられている形跡がないと思います。

とにもかくにも保育士の頭数を揃えればいいと考えている園の経営者もいるようです。働きやすい環境が整わなくて現場に入ってきた新人保育士がちゃんと成長できるのでしょうか。現状、子供とじっくり向き合えるような性格の保育士ほど職場に違和感を覚えて辞めていくこともあるようです。

無理やり待機児童を解消しようとした自治体で保育の質が下がっているそうです。7こどもを預かる責任の重さを考えれば、安易にあずかろうとするのはおかしいのではないかと感じずにはいられません。

また、親の方の意識にも変化があるようです。最近は「休みの日も子供を預かってもらった方が得」という言葉を平然と口にする親もいるそうです。それが親にとっても子供にとってもいいことなのでしょうか。仕事や家庭の事情などで、保育園に預けなければいけない家庭があるのは承知しています。しかし、とにかく預けてしまえと言う親がいるのはおかしいのではないでしょうか。それで親子の絆をちゃんと形成できるのでしょうか。

よほど未熟な人間でなければ、子育ては親から子へ一方的に与えるだけでなく、親も子供から多くのものを与えられていることに気づくと思います。子供が2歳、3歳くらいの時に他人に育ててもらうのが当たり前では、親が子供から学びを受け取る機会を逸してしまいます。また、子供が大きくなってから「もっとちゃんと自分で育てればよかった」と思っても、もうその時間は戻ってきません。

社会の責任として、子供を預けなければいけない家庭のニーズをきちんと包摂する必要があるのは当然のことですが、「日本死ね」はとにかくおかまいなしに子供を預け保育の質もおかまいなしにとにかくあずかれという風潮を助長したように思います。
疲弊した保育現場も、薄れつつある親子の絆も顧みられることはなかった。

「日本死ね」で日本社会のいい部分の一部が、確実に死にました。

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