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2018年8月12日 (日)

無駄かどうかを議論することこそ無駄

公共事業について、相変わらず必要性を主張しても「でも無駄な公共事業だってあるし」ということをよく言われます。別にこちらも無駄な公共事業をしろと言っているわけではなく、例えばまだまだ道路網が貧弱だったり新幹線網が未整備で水道管や橋が老朽化していて治水が不十分で防潮堤が足りなくてと必要な事業がいくらでもあるからやれと言っているだけなのですが、無駄な事業をすることになるのではないかと言いたがる人が必ずいるようです。

それだけならまだしも公共事業がまったく足りず多くの人の命が災害リスクにさらされているこの状況で「公共事業なんてどうでもいい」とか「税金増えまっせww」とか言ってくる人間のクズもいますね。公共事業がまったく足りていない今でも「無駄な公共事業をやっているのではないのか」という因縁をどうしてもつけたいようです。

公共事業は長年ずっと削減され続けています。必要かどうかの議論は大事ですし、公共事業に関しては費用便益分析というものが必ず行われています。必要なものしか執行されていないにも関わらず「無駄ではないのか」と因縁をつける連中にはある程度共通した心理や傾向があると思っています。

1つは建設業に関わる人達が殴られても殴り返してこないことをわかっているから延々と殴り続けるのだろうと思います。弱いものいじめの心理です。

だから平然と公共事業をバカにする。公共事業にも有益なもの、そうでないものがあるのは当たりまえのことですが、そんなことは考えようともしません。

後は、公共事業否定論に対して反論された後によく聞くのは「過去に土建業と癒着があったのは事実だろう」と言うものです。

しかし、行政や政治と民間が癒着する可能性があるのであればどんな事業だってそうでしょう。それでは民間が絡む事業は全部ダメだということになりますし癒着があるかもしれないからダメだと言うのなら政府は何もできないですよね。

だいたい、必要かどうかの議論は確かに大事ですが、議論をすればはっきり無駄だと断定できるようなものなんてそうそうありません。多くの人から見て必要と思えるような事業でも必ず異を唱える人がいますがそれを言い出したらキリがないと思います。

そんなに無駄かどうかをいちいち気にする人は、自分の仕事が誰の目から見ても無駄とは言い切れない仕事なのかどうか胸に手を当てて考えてみればいいでしょう。あれは無駄ではないか、これも無駄ではないかなどと公共事業を攻撃する人は、その人自身の存在が無駄ではないかと問われた時になんと言い訳するのでしょうか。

無駄な事業をすることになるかもしれないからと公共事業に反対する人がいますが、長年公共事業が削減され続けてきて最低限を割り込んだレベルの公共事業しか今は行われていないという経緯をしっかり把握してもらいたいものです。

「あなたの仕事こそ無駄ではないのか」と言われて無駄と判定されたら自分は仕事を失ってもいいという人が公共事業が無駄かどうかを論じるなら千歩ほど譲ってまだ理解はできますが、たいていの人はそれは無理でしょうから。

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