2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

pop

  • pop

« ヨーロッパが抱える困難 | トップページ | 無駄かどうかを議論することこそ無駄 »

2018年8月 6日 (月)

「偏らない意見」は一種の幻想

表現者クライテリオンというメールマガジンで「意見が偏らないためにはどうすればいいか」という趣旨の質問に執筆者が答えるという記事がありました。

詳細に読めていないのですが、概ね執筆者の回答した内容に同意できるなという記事でした。

私も周囲の人と政治的な意見が対立することが多いですが、「偏った考え方をしている」という非難のされ方をすることもたまにあります。

ですが、偏った考え方を持つというのは本当に悪いことでしょうか?

状況の把握の仕方はそれぞれです。それについて自分で勉強し自分なりの考え方を持てばその人その人で解釈がわかれるのは当然のことです。

確かに私は「財政赤字など気にせず、むしろ財政赤字を拡大するべきである」とか「現在は公共事業が足りておらず、もっと増やすべきである」などと他の人はあまり言わないことを繰り返し言います。

そんな私の意見を気にくわない人は「偏った意見を言うな」と言ってくることが多いです。

しかし、私は私なりにしっかりと根拠を述べて私の主張を裏付けようとしているわけであって、多数の人の意見から外れているといってなぜ私の意見を翻さないといけないのでしょうか?人はいろいろなので、多数の意見とは違う意見を言う人だって当然いるわけです。

そんな私の意見を偏っているなどと非難してくる人に限って「みんながそう言っているのだからそうなのだろう」という論拠に乏しい話を繰り返すばかり。はっきり言って周囲の意見に流され過ぎなんです。そしてそんな奴に限って「自分の頭で考えて意見を持つことが大事なのだ」などと平然と言います。矛盾してますね。

ある物事に対してしっかりと勉強すればするほど考え方に差異が出てくることはある種の必然です。

あたりさわりのない、みんなが言うのと同じような意見しか言わなければ「偏っている」という謗りは受けないでしょうが、それで本当にいいのでしょうか?

« ヨーロッパが抱える困難 | トップページ | 無駄かどうかを議論することこそ無駄 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2063857/73985483

この記事へのトラックバック一覧です: 「偏らない意見」は一種の幻想:

« ヨーロッパが抱える困難 | トップページ | 無駄かどうかを議論することこそ無駄 »